どこを生きるのか

この世がパラレルワールドであるのかも
と、気づいたのは
小学校の時だった。

Aちゃんは、
何かと体調を崩しては、
お腹が痛い、か、頭がいたい、か
気分が悪い、を訴えていた。

少し斜めな思考の子供だった私は
また、始まった、と
多少うんざりとしていたような記憶がある。
芝居かかったような

痛い、

を、見るたびに違和感があって
可愛げのない自分を思い知るような、
その感覚や

素直に

大丈夫?と言えない

情けない自分のことを、ちょっと大人びたBちゃんに話したことがあって、その時の彼女の反応がパラレルワールドの入り口だった。

そして彼女は、
にしても、痛いって、誰かに言って治るわけじゃないのにさ。

(ほー、そうきたか?)

痛いって、伝えて、なんになるのかな。

(なるほど。)

そしてある日。
体調が悪そうなBちゃんが、お腹を押さえて何かを我慢しているのを見たときに、心配で、
大丈夫?先生に伝えようか?と私が言えば

先生は私じゃないから痛さわわからないし
先生は医者じゃないから、治せない
それに、私は授業が聞きたいんだよ
痛いのは、後にする

と、

彼女が何を言っているのか、わからず
手をあげて
Bちゃんを保健室に!と先生に伝えた。

案の定、彼女はその後
盲腸であることがわかり、数週間学校を休んだ。

けれど、学校に久しぶりに来た彼女は、

行きたい学校があること
痛いや辛いは、自分には二の次であること、を、切々と私に話した
小学生が将来のために、学ぶことの意味を語る。そんな話を聞きながら、何が言いたいのかわからない子供の私は、ただ、ポーっと彼女を声を音楽のように気持ちよく聞いていた。

(かっこいいな〜〜)

盲腸でお腹を切った癖に、

痛いとか、辛いとか、気持ちの問題なんだよ

と語る小学生。

結局のところ、自分がどうするかは、自分で判断して行動するからと、勝手に先生に伝えてしまった私へのクレームを、言っていたのだ。と分かった時に、
人生で初めて、落ち込んだ。

私はね。
立派な人になりたいの。
かっこいい人になりたいの。

と、

だからごめんね。邪魔しないでね。
でもさ、すごくない私?
盲腸我慢出来たんだよ。
すごいよね。
お腹切ったんだよ。
侍みたいと思ったよ。
あー面白かった。

今でも覚えてる
なんだ、このかっこよさ!と。

そして

みかちゃんは、どこを生きるの?

(どこ?って、何?)

痛い痛いと言ってる人には、
痛いという生き場所。
私は、なりたい大人になる生き場所。
みかちゃんは、どこの場所を生きてるの?
人はみんな行きたい場所と生きる場所を選べるんだって。

大人な質問を受け止められず、
うろたえながら、
人はみな生きている場所が、
違うのだと知って
急に、

痛いの彼女が不憫になった。
ずっと痛くて、辛い人生になるのだと、
当時、
足りない解釈をしたけれど、
それは数十年後、痛いの彼女は、
旦那がどうだ
子供がどうだ
姑がどうだ、と
自分の不具合から生じたなにがしを、周りに訴えていたわけで
当たらずも遠からじを生きていた。


ただ、そのころは私は、

生きる場所

という言葉を知って、
楽しくなったのを覚えている。
だれかれに、
その話しをしていた。
そして余りに彼女の言動に憧れてすぎて、それから、なかなか痛いとか、辛いとか言えない人になってしまった。

の、

40年後、Bちゃんは、
小学生の頃のままの人生を生きていた。素敵でカッコよく、痛いとか辛いとかを治す仕事で評価高く、生きている。

あーそんなこと言ってた?
あれは母親の受け売りなんだよね。

なーんだ、そうなの?



子供の癖に、どこを生きるか、なんて聞くなんて、生意気だよね、

と言いながら、

で、どこを生きてるの?

私は、
どこに行くために、
どこを生きているのだろう。
と、
この数十年落ち込むたびに
頭をよぎっていた。
そして、ダメな自分、
痛い自分にハッパをかけてきた。

そうやって長い時間をかけて私に魔法をかけてくれて、痛いとか辛いとかから守ってくれたこと、

ありがとう!!

とそう伝えたら、
あの時みかちゃんが先生に言ってくれなかったら腹膜炎になって大変だったんだよね。

ありがとう!!と。

あっそうなの?と、
盲腸物語は先日完結した。


そして
それから、会うたびに痛いと辛い!!
数十年分を言い合う、数日が続いた。















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